フィギュア萌え族(仮)ってナンデスカ。

対話も感情もない「萌え」のむなしさ―犯人、楓ちゃんをフィギュア化―なんていう記事を書いてる人らしいですね。


もちろんいまの段階で犯人の動機は不明である。だが、私はこれらの状況からどうしても最近気になっていた「萌え」という現象を思い起こしてしまう。
なぜ萌えというのかは、諸説あって不明だが、要は若者たちが生身の人間ではなく、パソコンの中に出てくる美少女たちとだけ架空の恋愛をして行くというのだ。そこにある特徴は人間の対話と感情をまったく拒絶しているということである。
その萌えはあくまで狭義であって、しかも悪いイメージに引き込もうとしていますね。
柱萌えなのとかいるのですが、現実の人・モノに対しての萌えは存在しないような書き方ですな。
このように 偏見を持っているような未成熟なオトナ こそ、他人のココロの動きをつかめていないのではないでしょうかね。

もちろんまだ犯人像が絞れないいまの段階で、今度の事件の犯人を直接、この萌え現象と結びつけることはできない。ただ、解剖結果から誘拐直後に殺害しているということは、犯人は一刻も早く少女をモノを言わないフィギュアにしたかったことは間違いない。その上でフィギュアになった少女の写真を母親に送りつけ、ここでもまるでモノをやり取りするかのように「娘はもらった」という言葉を使っている。これまでの誘拐犯なら「娘はあずかった」だ。
結びつけることはできないのに、楓ちゃんをフィギュア扱いするあなたもかなりひどいんじゃないんですか。
しかも、「もらう」には「引き受ける。あずかる。」の意があるっぽいのですが(from infoseek大辞林)。
わたしは、犯人は「嫁をもらう」などと同様に帰属の意味で使ったのではないかと考えています。

もう一点、犯人は少女を浴槽のような水を張ったところで水死させている。この殺害方法だと、少女をまったく傷のつかないフィギュアにできる。いや、少女の体には無数の傷があったではないか、という反論があるかも知れないが、それこそが犯人の異常性。少女を水死させることで無傷の状態でフィギュア化し、思いのまま傷つけるのは、自分でなければ気がすまなかったはずなのだ。
この人、はずなのだ とか断定しちゃってますよ。
せっかく無傷のままフィギュア化したのに、それを傷つけてすぐに手放してしまうあたり、フィギュア萌え族(仮)と呼べるとは思えません。